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最終更新日:2024年10月29日
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神戸の市街地や軍事目標に対する攻撃を米陸軍航空隊のB-29部隊が行った、1945年2月4日(日曜)昼、3月17日(土曜)未明、5月11日(金曜)朝、6月5日(火曜)朝、8月6日(月曜)深夜の空襲を「神戸大空襲」といいます。
日本本土への初空襲(ドゥリットル空襲)は、日本軍の真珠湾攻撃から4ヶ月後の1942年4月18日。アメリカ軍のB-25爆撃機が来襲し、東京、川崎、名古屋などを爆撃、神戸市内数ヶ所にも爆弾が投下されました。
1944年11月1日、アメリカ陸軍航空隊のB-29がマリアナ基地(サイパン島、グアム島、テニアン島)から日本本土の上空に飛来し、12月15日には阪神間の上空にも出現。戦略爆撃による本土空襲が本格化していきます。
1944年11月下旬から1945年3月上旬には、B-29による航空機工場への精密爆撃や実験的焼夷弾攻撃、夜間単機攻撃が行われたことに加え、宣伝ビラを投下する心理作戦も実施されました。
1945年3月中旬から8月15日までは、都市工業地域に対する夜間および昼間の焼夷弾攻撃が行われました。3月中旬から6月15日には五大都市(東京、名古屋、横浜、神戸、大阪)に大量焼夷弾爆撃が実施され、6月17日以降は中小都市も対象になりました。
神戸は3月17日と6月5日に攻撃対象となり大きな被害を受けました。6月17日以降は、現在の東灘区や芦屋市、西宮市などの阪神間市街地に対する地域爆撃が続きました。
同時期には、川崎航空機(現・川崎重工業)や川西航空機(現・新明和工業)などを精密目標とした昼間編隊爆撃も行われ、5月11日には東灘区(旧本庄村)の川西航空機深江製作所が通常爆弾による攻撃を受けました。また、5月3日から神戸沖への機雷投下が始まり、7月24日には川崎車両、三菱重工業、神戸製鋼所、国有鉄道工場に模擬原爆が投下されました。
神戸大空襲は現在の神戸市域に、戦災家屋数14万2,586戸、総戦災者数として、罹災者53万1,694人、死者7,524人、負傷者1万6,948人という惨禍をもたらしました。