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国名勝「再度公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」

最終更新日:2024年4月23日

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再度公園の画像1
再度公園および再度山永久植生保存地は、今日の公園・造園文化の発展に寄与していることが評価され、2006年(平成18年)に、都市公園としては日本で初めて登録記念物(名勝地関係)に登録されました。また翌年には、神戸の近代都市の発展と日本の近代化を物語る神戸外国人墓地を併せて国の名勝に指定されました。

再度山永久植生保存地

1868年(慶応3年)の開港後、急速に発展し人口が急増した神戸の町では、生活用水の水質悪化が進み、上水道の整備が急務となっていましたが、当時の六甲山は薪の採取のための樹木の乱伐により荒廃していました。このため、水源涵養・砂防を主目的として六甲山の緑化に着手したのが1902年(明治35)年、場所は再度公園の広場から修法が原池の対岸に望む再度山(標高470メートル)の北斜面です。
その後、1974年(昭和49年)、国際植生学会日本大会の現地見学会が再度山で開催されたことをきっかけに、神戸市ではこの森の一部を「再度山永久植生保存地」に指定、以後5年ごとに植生や土壌の変化を調査・記録し、六甲山系の緑の管理や育成に活かしています。
六甲全山縦走路から再度公園への通路、通称「再度越」付近では、明治の頃の植林の際に築かれた石積みを見ることができます。

明治35年の再度山の緑化 1902年(明治35年)の緑化の様子

明治時代の石積み 上写真の石積みの現在の様子

神戸外国人墓地

神戸外国人墓地の画像1868年(慶応3年)の開港と同時に、現在の花時計と大丸神戸店を結ぶ線から南側に外国人居留地が設けられました。開港直前に亡くなった外国人のために設けられた小野浜墓地、のちに小野浜墓地がいっぱいになって1899年(明治32年)に設けられた春日野墓地の両墓地を統合して再度公園に移設されたのが、現在の神戸外国人墓地です。
移転は1936年(昭和11年)に市会で議決されましたが、その後の1938年(昭和13年)の水害や、太平洋戦争の勃発により、移転が完了したのは1961年(昭和36年)でした。
墓地内に埋葬されている方は、近代神戸の黎明期に活躍した技術者や教育者、宗教者など、世界各国の方、約2900名にのぼります。

神戸外国人墓地の公開

現在でも墓参、埋葬が行われている墓地ですので、自由に散策はできませんが、墓地を一望できる展望台へは立入可能(9時~16時30分)です。また、2022年(令和4年)4月から展望台近くの礼拝堂を一般開放(4月から11月の10時~15時)しており、外国人墓地の歴史をお知らせするビデオをご覧いただけます。(年末年始、墓地催し等で使用する場合を除く)

また、4月から11月までの第4日曜日には、事前にお申込みいただいた方を対象に、墓地内の一般公開も行っています。詳しくは下記リンク先をご覧ください。。
 神戸外国人墓地の公開

再度公園

再度公園の画像2再度山永久植生保存地を中心として古くから良好な森林が保全・育成されてきた修法が原周辺は、1937年(昭和12年)に再度公園として整備されました。
昔から、居留外国人による登山や、愛好家たちによる毎日登山が行われ、近年でもハイキングやドライブで立ち寄ったり、遠足で訪れたり等、市民に親しまれています。
第二次世界大戦後は進駐軍による接収を受けていた時期もあり、また2004年(平成16年)まで営業していた修法が原池のボート遊びなど、ご記憶にある方も居られるかもしれません。尚、「再度山」という名前は、弘法大師が中国に渡られる前に無事を祈願し、その後戻ってこられてもう一度、修法されたことによるとされています。
また園内では定期的に「こうべ森の学校」による市民参加の森づくり活動が、市民・企業・行政の相互協力により行われています。

再度公園

市民参加の森づくり(外部リンク)

お問い合わせ先

建設局公園部森林整備事務所