最終更新日:2024年10月31日
ここから本文です。
伝統的建造物群保存地区の案内センターとして、まちあるきの案内や北野町・山本通の歴史を映像で見ていただける展示施設です。
この建物は大正初期の建築ですが、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドゥ、軒蛇腹、よろい戸など、明治時代のいわゆる神戸の洋風建築物の様式をそのまま受け継いでいます。建物は主屋と付属屋からなり、主屋は庭のほぼ中央に南面して建ち、1階の開放されたベランダは、その特徴をよく残しています。ベイ・ウィンドゥは東側に一つ、西側に二つあり、1階は応接間、居間、食堂、2階は寝室が配置されました。
建築主は、J.R.ドレウェル夫人(Josephine.R.Drewell)で、1857年フランスに生まれ、1871年に来日しています。1876年当時大阪造幣寮の御雇外国人であったイタリア人マンチーニ氏と結婚しました。しかし1880年マンチーニ氏が死亡したため、1882年ドレウェル氏と再婚しています。ラインの館を建築した時ドレウェル夫人は58歳、1920年に亡くなるまでこの館で暮らしていました。ドレウェル夫人は神戸市北区山田町にある国指定記念物(名勝)「再度山公園・再度山永久植生保存地・神戸外国人墓地」内に埋葬されています。ドレウェル夫人の死後、この館にはドイツ人が住んでいました。
ラインの館という名前は市民からの愛称募集で入選した名前で“この館の下見板の横線(ライン)が美しいから”というのが入選者の言葉です。また、神戸市が購入する直前に住んでいたオバーライン氏の故国ドイツのライン川にちなんで、この名称になりました。
1978年、神戸市が購入した際、付属屋は一部改造して市民トイレを設け、地区内の案内センターとして新しく整備しました。
1995年に発生した阪神・淡路大震災では、2本のレンガ積煙突が落下したため、小屋裏部より木軸で煙突を立ち上げモルタルを塗りました。また、内部壁にひびがはいったため、壁の補強を行いました。
2014年に実施した耐震診断や地盤調査の結果から、全解体する必要が生じたため、2016年より閉館し、耐震対策・保存修理工事を実施しました。この修理工事で西側の煙突は煉瓦目地の強度が悪いため、全解体して積み直しを行い、、東側の煙突は煉瓦積煙突を穿孔してアラミド樹脂にて補強を実施しました。
また、荒壁パネルを使用して壁面補強を行い、建築当初のまま土壁が残っていた応接間は土壁を復原しています。
その他、付属屋の床下を掘削中に主屋から降りる石段と、敷石と煉瓦敷が発見され、建築当時は主屋と付属屋が別棟であったことが明らかになりました。
また、付属屋の南面には4連の槽を設ける、浄化槽と考えられる構造物が見つかったため、地中に保存することとなりました。
木造2階建、寄棟造、桟瓦葺
1階 211.00平方メートル
2階 204.35平方メートル
計 415.35平方メートル
903.60平方メートル