ホーム > 文化・スポーツ > 文化施設 > 文化行政および各種事業 > 2024年度神戸市文化賞、文化奨励賞、文化活動功労賞 受賞者
最終更新日:2024年12月10日
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2024年度(令和6年度)の各賞受賞者は、下記のとおり決定しました。
東京造形大学にて具象彫刻の第一人者故佐藤忠良氏の下、具象彫刻の基礎を学ぶ。愛知県立芸術大学大学院で塑像の研究を重ねた後、出身の神戸に戻り教職に就きながら創作を継続。神戸具象彫刻大賞展、ロダン大賞展、木内克大賞展など、野外彫刻コンクールで入賞入選を重ね、出品した作品は神戸市内、国内の各地に設置されている。個展や兵庫県彫刻家連盟展をはじめ、自ら立ち上げた「立体造形展」など数多くのグループ展を企画・運営、自らの創作発表だけでなく後進の指導にも積極的に当たり、彫刻立体作品の普及に努めている。作品は、女性を中心とした人物像や頭像の優しい形態で、鑑賞者がその作品から、次の動きや次の物語など、広がりを持って想像できる、ゆとりのある作品を狙いとしている。神戸市の「市展」審査員、神戸芸術文化会議運営委員、兵庫県の「県展」審査員や県下各市町の美術展審査員を歴任。また、兵庫県彫刻家連盟の代表や兵庫県洋画団体協議会事務局などを永年勤め、その功績に2022年兵庫県より文化功労者表彰を受賞。
神戸市出身の俳優、ダンサー。1999年に俳優として活動を開始し、日本国内を中心に演劇、映像作品に参加、これまでに数多くの映画賞等を受賞している。またダンサーとしても2013年に文化庁文化交流使に指名され、領域横断的に国内外で活動を展開。東京2020オリンピック開会式にてオープニングソロパフォーマンスを担当するなど顕著に活躍している。国内外でのパフォーマンス作品制作時にアーティスト・イン・レジデンス(AIR アーティストが一定期間滞在し、それまでと異なる環境の中で作品制作や調査・研究活動する取り組み)のプログラムを利用。その経験を経て、2022年に「Artist in Residence KOBE AiRK )」の設立・運営に携わり、神戸で活動する文化施設・団体が招聘するアーティストの受け入れを推進。さらに「AiRK」自主企画としてのアートプロジェクトのキュレーションの他、六甲ミーツ・アート芸術散歩2023・2024開催時のオープニングパフォーマンスのプロデュース、海外のAIRとの交流プログラムとして市内複数箇所でのリサーチプロジェクトなども多数手掛けている。神戸市主催のパブリックアートによる観光誘客事業「KOBE Re:Public Art Project」ではメインキュレーターを務め、アーティストによる神戸の魅力の再発掘及びリサーチ結果に基づくアート作品の公開について企画・運営を行った。
神戸市出身、東京都在住のプロダンサー、サーカスパフォーマー。生まれつき脊髄の機能が損なわれる「先天性二分脊椎症」により下半身にマヒの障害があり、日常生活で車いすを使用している。専門学校卒後、システムエンジニアとして働いていたが、パフォーマンス用の車いすを見たことがきっかけで2016年にダンサーとして活動を開始。車いすを用いたダンスを行い、車いすの上で逆立ちを行ったり、倒した車いすの車輪に自身が乗り回転するなどアクロバティックな内容が特徴。活動開始の半年後にはリオデジャネイロパラリンピック閉会式に出演、その後も東京パラリンピック、NHK紅白歌合戦などに出演しており、今年5月に市内で行われたKOBE2024世界パラ陸上の開会式に出演した。障がいのあるダンサーとして先駆的な様々な活動を行う一方、小学校での特別授業を行うなど、教育現場にも積極的に関わっている。
陶芸家。伝統的な「スリップウェア」(18 19世紀のイギリスで盛んになった泥状の化粧土、スリップで模様を描く技法)による器の制作を軸に活動。他に化粧土の代わりに重曹を原料とするソーダ釉を使い独特の青色を生み出す作品、スリップのうえに赤漆を塗布し仕上げた「陶胎漆器」など、常に新しい技法・分野にも挑戦している。高校時代にスリップウェアに出会い、米国留学などを経て2007年に独立。師匠につかず、独学で技法を習得してきたことが型にはまらない作品を生み出す原動力となっている。イギリスの伝統技法を用いながら、日本の和の空間に溶け込んだ作品は有機的な魅力が高く評価されている。アメリカのギャラリーでの個展開催、アジア各国での展示会開催など、活躍は海外にも及ぶ。作品はアメリカの有名ミュージシャンやスポーツ選手などがコレクションしているほか、愛好家などから入荷を心待ちにされる人気ぶりといわれる。近時は食器のほか、大きな壺やオブジェといった芸術作品の制作にも取り組んでいる。
安土桃山時代に起源を有する北区有馬地区の伝統工芸品「有馬籠」(竹籠)のマイスター。轡家の当主が名乗る「昭竹斎」の四代目。1967年に家業に入った時点で有馬籠を製作する工房は当家のみとなっており、伝統の火を消すことは出来ないという責任感を胸に籠師として60年近く編み組みの技術を磨いてきた。手作りの籠は茶道・華道などの分野で流派を問わず人気がある。他に箸やテーブルウェアなどの日用品のほか、近年はバッグ、ブレスレットなどの新しい分野にも挑戦。竹は10年以上経つと味のある色に変わり、商品自体の魅力が上がる。有馬籠の最大の特徴は徹底的な実用主義にあり、しっかり手入れをすることで、数十年のスパンで利用することができる有馬籠を、日々制作している。なお、有馬籠は現在進行中の三宮雲井通5丁目再開発ビルの低層部分の外装のモチーフ(竹籠デザイン)としても用いられている。
大学の卒論のテーマを「農村歌舞伎と農村舞台」としたことで「ふるさと兵庫・神戸」への関心が深まり、地元テレビ局に就職。放送マンとして番組作り、ニュース取材やドキュメンタリー制作を経験し更に地域社会への思いが強くなり、郷土の生活や文化、芸術、芸能への関係を深める。特に須磨寺に伝わる「一弦須磨琴保存会」との関係は長く、後援会の一員として長年記念演奏会の企画・構成・演出を行っている。阪神・淡路大震災を機に故時実新子氏に師事し、川柳人としても活躍。また、ユニバーサル社会づくりへの観点から障がい者支援やユニバーサルツーリズム推進に取り組むほか、神戸芸術文化会議の一員として多様な演奏会のプロデュースを行うなど、地域文化振興に寄与する積極的な活動を続けている。