最終更新日:2024年3月18日
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小松益喜(1904-2002)は高知市に生まれ、東京美術学校で学びました。同校卒業後、郷里の高知に戻りますが、再び上京を考え、その途上に神戸に立ち寄ります。そこで目にした、洋風建築のある異国情緒ゆたかな景観に強く魅了された小松は、そのまま神戸に住み制作を続けることになりました。街なかでイーゼルを立てて制作している時に声をかける人もあり、小松は気さくに応じていたといいます。本展は、神戸の人びとに親しまれた小松益喜の生誕120年を記念して開催します。小松作品で神戸とヨーロッパの街を散歩していただく気分を味わっていただき、神戸の風景が描かれた時代から様子が変化している一方、ヨーロッパの街は今でも同じ建物、ほとんど変わらない風景が楽しめることなど、さまざまにお楽しみください。
油彩66点、素描等64点 合計130点を展示します。
※チラシ(PDF:1,356KB)
2024年4月20日(土曜)~6月16日(日曜)
神戸ゆかりの美術館(〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中2丁目9-1)
電車:JR「住吉駅」、阪神「魚崎駅」乗り換え、六甲ライナー「アイランドセンター駅」下車南東すぐ
バス:阪急「御影駅」南側から、みなと観光バス131系統で「アジアワンセンター」下車南へ徒歩3分
※車でお越しの方は近隣の有料駐車場をご利用ください。
月曜日(ただし4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日
10時から17時(入館の受付は16時30分まで)
一般:200(150)円/大学生と65歳以上:100(50)円 ※()かっこ内は30名以上の団体料金
神戸ゆかりの美術館
作品はすべて神戸ゆかりの美術館の所蔵
少年時代、小松は、絵の好きな親戚の少年と放課後に絵を描きに出かけるようになったことから、描く楽しさに目覚めます。やがて小松は1925年に東京美術学校西洋画科に入学、和田英作の教室で学ぶことになります。美術学校在学中、小松は佐藤敬らと交友し、プロレタリア美術同盟に参加しました。卒業後は、マルクス主義の研究と絵を描くことに明け暮れ、また、機関誌『赤旗』の印刷の仕事にたずさわります。この仕事が多忙で緊張を伴うものであったため、病を得て記憶を失った小松は郷里の高知に戻ることを余儀なくされますが、自然の中でスケッチをしているうちに、次第に健康を取り戻し、画家として生計を立てることを決意します。
《蝶》制作年不詳
1934年8月、30歳の小松は親子3人で上京をめざし、最小限の生活用品、絵の具箱、イーゼルと自転車をたずさえて高知を出発し、 汽船で神戸に上陸します。この時、神戸に住んでいる妻の姉の家へ立ち寄ったことが、運命の別れ道となりました。小松の家族の生活を大変心配した義姉の説得により、上京は断念され、一家は神戸に住むことになるのです。当初の計画を果たすことはできませんでしたが、明るくエキゾチックな港町、神戸に魅力を感じた小松は、北野町を中心に異人館のある風景を描き始めます。そして、山本通に邸宅とアトリエを構えていた小磯良平と親しくなり、新制作派協会に出品したり、神戸画廊で精力的に個展を開催したりと、神戸の画家として本格的な活動を始めます。
《神戸の印象》1934年頃
戦争への道をまっしぐらに突き進んでいった時代でした。日常生活の緊迫感はただごとではなく、長男が軍国主義の教育を受け、「早く大きくなって兵隊さんになりたい」と目を輝かせる様子に小松は困惑します。そのような世相をよそに、小松は、毎日無我夢中で絵を描き、描くことが唯一の救いであったと当時をふり返っています。このころ、神戸の旧居留地の英三番館の連作を始め、1941年には小磯良平らが結成した新制作派協会の会員となりました。神戸の街は、1945年6月5日の空襲でさらなる被害を受け、小松が北野町の写生をする際に制作途中のキャンバスや画材を毎日のように仮置きさせてもらっていた山本通の小磯良平のアトリエも、爆撃を受けて焼失しました。小松は奈良に疎開します。
《英三番館(第9作)》1942年頃
小松が神戸に戻ったのは、1946年の12月でした。神戸の山手にあったホテルや住宅の多くが占領軍に接収されており、不穏な空気が漂っていましたが、小松は、被害を免れた建築を描き、大阪市立大学や造幣局で美術講師をつとめます。そして1951年、小松47歳の年、灘区に念願のアトリエを完成させ、異人館を主題とした作品を、再び精力的に描き始めます。
《神戸税関前踏切》1948-49年頃
小松は、1958年に初めてヨーロッパを訪れ、画集で眺めて憧れていた、ユトリロやシスレーが描いた実際の風景そのものを見て、大変感動したといいます。ヨーロッパ各地を重ねて旅し、多くの写生を行いました。
《グランショミエール》 1959年
《キエフ風景(ソフヤ寺院)》1969年
《ヴァツピルセータス通り》 1975年
小松はアトリエを拠点に異人館を描き続け、1975年に神戸市文化賞を受賞します。長年神戸の異人館を描き続けたことから、「異人館画家」と称されることもありました。北野町などでの制作中に声をかけられると小松は気さくに応じ、郷里が同じで意気投合して親交を結んだ人もありました。アトリエで制作する画家が多い中、戸外で制作する小松の場合は、画家本人に出会う機会があったため、美術好きの神戸の人びとにとって、より親近感を感じることができた画家の一人であったと思われます。
《門兆鴻氏邸通用門》1977年
西洋建築を主題とした作品で知られる小松ですが、晩年は、郊外の日本的な家屋が残る風景も描き、神戸市のみならず、姫路、宝塚、宍粟郡、篠山などを訪れて写生を行いました。
今回の展示では、六甲アイランドからも比較的近い、神戸市北区に取材した作品と、西宮戎神社内の風景を描いた新収蔵作品を紹介しています。
《箕谷風景》 制作年不詳
いずれも午後1時30分~午後4時
「小松益喜さんの風景画を模写してみませんか?」対象:大人 定員:各日10名。
そのほか、詳しい持ち物は、当選者に電子メールで連絡します。
「たてものが好きな人!小松さんの絵を模写してみよう!」対象:6歳~大学生 定員:各日10名
学芸員による展覧会の解説
5月12日、26日、6月9日 いずれも日曜日
午後2時から約30分間 映像室にて
定員40名、当日先着順
展覧会の会期や開館時間、イベントは今後の状況により変更することがあります。詳しくは美術館HPで最新の情報を確認してください。