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最終更新日:2019年11月1日
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神戸が開港(かいこう)されたことで、外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)がつくられます。
ここへうつり住(す)んできた外国人によって、外国のいろいろな文化(ぶんか)が伝(つた)えられました。
洋服(ようふく)もその中(なか)のひとつです。
1869年(ねん)(明治(めいじ)2年)にイギリス人のカペルが、居留地16番地(ばんち)に開(ひら)いたのが神戸で最初(さいしょ)の洋服店(ようふくてん)で、同(おな)じ年(とし)に日本人(にほんじん)も店(みせ)を開(ひら)いています。
神戸港(こうべこう)は外国との交通基地(こうつうきち)となっていたため、神戸には、ヨーロッパの最新(さいしん)の流行(りゅうこう)(はやり)がそのまま入(はい)ってきました。
とくに注文(ちゅうもん)によって仕立(したて)られる紳士服(しんしふく)はとても着(き)ごこちがいいと評判(ひょうばん)になります。
やがて、神戸で作られる紳士服は、「神戸洋服」とよばれるようになりました。
全国(ぜんこく)から優秀(ゆうしゅう)な職人(しょくにん)が集(あつ)まり、技能(ぎのう)を競(きそ)いあう「技術(ぎじゅつ)グランプリ」で、多(おお)くの神戸の職人が日本一(にほんいち)に選(えら)ばれるなど、神戸洋服のすばらしさは有名(ゆうめい)です。
1974年(昭和(しょうわ)49年)には、中央区(ちゅうおうく)の東遊園地(ひがしゆうえんち)に「日本近代洋服発祥(にほんきんだいようふくはっしょう)の地(ち)」の碑(ひ)がたてられました。
これは、洋服の型紙(かたがみ)を、石(いし)で立体的(りったいてき)にあらわしたものです。
【型紙】
洋裁(ようさい)などをする時(とき)に、これから作ろうとするものの形(かたち)を製図(せいず)して切(き)った紙(かみ)
神戸が開港(かいこう)して以来(いらい)、外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)を中心(ちゅうしん)に、たくさんの外国人が住(す)むようになりました。
当時(とうじ)、ぞうりやげたなどを作(つく)っていた職人(しょくにん)が、そこに住(す)んでいる外国人たちの靴(くつ)の修理(しゅうり)をしたり、新(あたら)しくつくったりしていたことが、神戸の靴づくりの歴史(れきし)のはじまりです。
1889年(ねん)(明治(めいじ)22年)、三田市(さんだし)に住んでいた平野永太郎(ひらのえいたろう)が靴づくりを学(まな)ぶためにアメリカへ渡(わた)ります。
平田永太郎は6年間(ねんかん)、アメリカで靴づくりを勉強(べんきょう)し、日本(にほん)に帰(かえ)ってくると、中央区元町(ちゅうおうくもとまち)2丁目(ちょうめ)に「神戸屋製靴(こうべやせいか)」という紳士靴店(しんしぐつてん)をひらきました。
その店(みせ)には、地方(ちほう)から若(わか)くて熱心(ねっしん)な靴職人たちが集(あつ)まり、技術(ぎじゅつ)をみがきました。
神戸では、とくに紳士靴づくりが発達(はったつ)し、神戸の「はきだおれ」として全国的(ぜんこくてき)に有名(ゆうめい)になりました。
今(いま)では、デザインがたくさんある婦人(ふじん)靴が多く作られています。
職人が手(て)づくりする靴は、お客(きゃくさま)のいろいろな要望(ようぼう)に応(こた)えています。
明治(めいじ)以来(いらい)、神戸の洋服(ようふく)業界(ぎょうかい)は、注文(ちゅうもん)して作(つく)るという、オーダーメイドとして発展(はってん)してきました。
ところが、戦後(せんご)すぐのころからは、主(おも)に洋服のおろしのようなことをする、アパレル企業(きぎょう)がたくさんできてきます。
1955年(ねん)(昭和(しょうわ)30年)のはじめには、デザインとおろしの、両方(りょうほう)をする企業もでてきました。
そして、神戸が1973年(昭和48年)に「ファッション都市宣言(としせんげん)」をしてから、アパレル企業はますます成長(せいちょう)し、発展していきます。
神戸のアパレル企業がつくる洋服は、有名(ゆうめい)なファッション雑誌(ざっし)で何度(なんど)も登場(とうじょう)するなど、とても人気(にんき)があります。
開港(かいこう)以来、育(そだ)てられてきた神戸の人(ひと)のセンスも、これらのアパレル企業をささえてきた力(ちから)のひとつになっています。
【業界】
同業者(どうぎょうしゃ)の社会(しゃかい)
【おろし】
製造(せいぞう)する企業から商品(しょうひん)を買(か)いとり、全国(ぜんこく)のデパートなどお店(みせ)に売(う)る仕事(しごと)。問屋(とんや)。
ケミカルシューズ産業(さんぎょう)は、神戸を代表(だいひょう)する地場産業(じばさんぎょう)です。
長田区(ながたく)と須磨区(すまく)に、ケミカルシューズをつくる工場(こうじょう)が集(あつ)まっています。
神戸は、日本(にほん)で最初(さいしょ)にゴム工業(こうぎょう)がおこった所(ところ)といわれて、自転車用(じてんしゃよう)のタイヤチューブからはじまり、ゴムベルトやホースなどがつくられ、やがてゴムの靴(くつ)がつくられるようになりました。
ゴムの靴が日本で最初につくられたのも神戸といわれています。
昭和(しょうわ)20年代(ねんだい)のはじめのころからゴムが手(て)に入(はい)らなくなったため、ゴムメーカーは、いろいろな材料(ざいりょう)でさまざまな靴をつくることになります。
その結果(けっか)、1952年(ねん)(昭和27年)ごろ、ケミカルシューズが神戸で生(う)まれました。
その後(ご)も、材料(ざいりょう)の開発(かいはつ)や、改良(かいりょう)、製法(せいほう)技術(ぎじゅつ)の改善(かいぜん)などで、ケミカルシューズはファション製品(せいひん)として発展(はってん)します。
全国(ぜんこく)の生産高(せいさんだが)の約(やく)80パーセントのケミカルシューズが、神戸でつくられていました。
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)では、ケミカルシューズをつくる会社(かいしゃ)のほとんどが大(おお)きな被害(ひがい)をうけました。
しかし、‘くつのまち ながた’のシンボル施設(しせつ)として、「シューズプラザ」を建設(けんせつ)するなど、地元(じもと)の人(ひと)たちとともに、街(まち)づくりと一体(いったい)となった復興(ふっこう)が進(すす)められ、いまもデザインと品質(ひんしつ)に優(すぐ)れた靴がたくさんつくられています。
【ケミカルシューズ】
皮靴(かわぐつ)いがいの化学製品(かがくせいひん)でできている靴
【ケミカルシューズ産業】
ケミカルシューズに皮靴もふくめた産業
神戸で真珠産業(しんじゅさんぎょう)が本格的(ほんかくてき)に始(はじ)まったのは、1928年(ねん)(昭和(しょうわ)3年)以降(いこう)に、各地(かくち)で養殖場(ようしょくじょう)が増加(ぞうか)してからです。
アコヤガイの中に、貝(かい)がらでできた珠(たま)をいれ、海(うみ)のなかでそだて、人工的(じんこうてき)に真珠をつくる養殖場(ようしょくじょう)が、三重(みえ)、愛媛(えひめ)、長崎(ながさき)、熊本(くまもと)などにできてきました。
神戸は地理的(ちりてき)にどの場所(ばしょ)からも近(ちか)く、また古(ふる)くからの貿易港(ぼうえきこう)だったために、たくさんの真珠が集(あつ)まってきます。
真珠の輸出(ゆしゅつ)をするには、神戸はとても都合(つごう)がよいところでした。
また、真珠に穴(あな)をあけたり、ヒモでつないだりというような加工に、六甲山(ろっこうさん)に反射(はんしゃ)した太陽(たいよう)の光(ひかり)がてきしていました。
これらのことから、神戸で真珠加工は発展(はってん)していきます。
現在(げんざい)でも、神戸は世界(せかい)でも有名(ゆうめい)な真珠の加工・集散地(しゅうさんち)になっています。