最終更新日:2024年9月25日
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須磨ニュータウンは、昭和30年代、産業の発展と急速な人口増加により、臨海部における産業用地の造成と良質な住宅の確保が必要となり造られました。
山から土砂を採取し、跡地に須磨ニュータウンを造成するとともに採取した土砂はベルトコンベヤによって須磨海岸まで運ばれ、そこから海上運搬され神戸港沖に埋め立てられました。海側と山側を同時に開発する「山、海へ行く」という神戸方式です。
入居開始から40年以上が経過した今も自然が残る環境のよい地域であり、三宮まで約20分という交通の利便性も魅力の名谷駅前をリノベーションすることで、若い世代を含む多世代に選ばれるまちを目指しています。
須磨ニュータウンの歴史