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最終更新日:2024年10月29日
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川谷さんは、「わたしは、東灘区で空襲を経験しました。空襲警報が鳴って、防空ごうへ逃げ込もうとしたとき、シャーッという音がして焼い弾が降ってきました。一瞬のうちに、あたりは火の海になっていました。」と、空襲の状況を話してくれました。
米倉さんは、「1944年9月ごろ、神戸を離れ、学童疎開しました。食べ物がなく、毎日芋づるを食べていました。捕ったイナゴなどを食べたこともありました。」と当時のつらさを思い出しならが話してくれました。
また、川谷さんは、ある親子のことが特に印象に残っていうと言います。
「母親が小さい子どもを抱きしめたまま亡くなっておられたのですが、子どもの顔にはやけど一つなく、また、母親の着物の帯の色が子どもを抱いていた部分だけが鮮やかに残っていたのです。必死で抱きしめておられたのだと思うと今でも涙がでます。」
お二人は戦争体験を、戦争をしらない若い人たちに伝えていきたいと話していました。
広報こうべ2001年8月1日号掲載