食品衛生検査所 沿革

最終更新日:2024年8月26日

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時期
内容
1932年
神戸市中央卸売市場の業務が開始される。
1948年
終戦後米軍の衛生管理下にあって、兵庫県より食品衛生監視員2名が駐在する。
1950年
兵庫県より神戸市への一部権限委譲に伴い、神戸市職員により中央卸売市場衛生監視員詰所として引き継ぐ。
1969年
「神戸市食品衛生検査所」として3類事業所となる。
東部市場の開設に伴い、東部分室を設置する。
1972年
「神戸市食品衛生検査所」は2類事業所となり、本場に中央検査係、東部市場に東部検査係をおく。
1973年
第3水俣病の報道に伴い、魚介類の水銀検査に着手する。
業務量の増大に伴い中央・東部とも拡張する。
1975年
魚介類の重金属検査に着手する。
1982年
抗菌性物質の検査に着手する。
1984年
生食用魚介類の重点的検査に着手する。
1992年
農薬残留基準の大幅改正にともない検査を強化する。
1995年
1月17日5時46分、兵庫県南部地震(M7.2、震度6~7)が発生し甚大な被害を受ける。
避難所弁当の食中毒予防のため、支給が続いた8月中旬までこれらの細菌検査を重点的に実施。
またこの震災を教訓に、食品衛生検査所における「防災マニュアル」を策定する。
1996年
腸管出血性大腸菌O157による食中毒が全国的に発生したため、市場衛生対策を実施するとともに、O157検査を開始する。
1997年
窒素系農薬を追加するなど、残留農薬検査を強化する。
2001年
生食用鮮魚介類に腸炎ビブリオの規格基準が設定され、監視指導、収去検査を強化する。
2002年
中国産農産物の相次ぐ残留農薬基準違反、国内における無登録農薬の使用などを受け、残留農薬検査を強化する。
2004年
残留農薬等のポジティブリスト制度の施行を控え、検査対象農薬の拡充について検討を開始する。
2006年
組織改正により、2係制度を廃止。これに伴い東部市場内事務所面積を縮小。
残留農薬等のポジティブリスト制度の施行により、検査対象農薬を拡充する。
ノロウィルス感染症が多発し、生かきの取扱量が激減する。
2007年
組織改正により、保健福祉局健康部と保健所の両方に属することになる。
2008年
神戸市中央卸売場本場の新加工場が完成。
中国産冷凍餃子による農薬健康被害事件、中国産冷凍ウナギ蒲焼の産地偽装事件が起こる。
2009年
新型インフルエンザの流行に伴い、危機管理対策を実施した。
2010年
4月に宮崎県で口蹄疫が発生し、大量の家畜が殺処分される。
2011年
3月の東北地方太平洋地震(M9)により、福島原子力発電所事故が起き、放射性物が漏洩して食品への汚染を引き起こした。
O157対策の一環として牛肉の生食規制が強化された。
2012年
前年度から始まった食品中の放射性物質検査が全国の検査機関で継続されることとなった。
クドアに関する検査法や対応が定められ、クドア等の寄生虫が食中毒病因物質に追加された。
2013年
神戸市生活衛生システムの導入に伴い、監視・検査データの一元的管理化が図られた。
2015年
4月に食品表示法が施行された。

お問い合わせ先

健康局保健所食品衛生検査所