最終更新日:2023年4月20日
ここから本文です。
油井副市長会見の模様をお届けいたします。
・退任会見
司会:
それでは、ただいまより、明日3月31日付で退任となります油井副市長の退任会見を行います。
それでは、油井副市長、よろしくお願いいたします。
油井副市長:
皆さん、こんにちは。副市長の油井でございます。3月31日の退任に当たりまして、任期を振り返ってお話をさせていただきたいと思います。着席をさせていただきます。
私が副市長になったのは、ちょうど4年前、平成の終わり、平成31年の4月からということで、それから4年間、受け持っている所属の局が、危機管理室、建設局、それから最初は都市局、それから建築住宅局、それから港湾局、消防局、水道局、監査事務局ということと、そのほかに防災分野を担当させていただきました。ちょうど令和2年の途中に都市局が外れて、港湾局と水道局が新たに入ったということで、私は今まで、職員としては都市局とか建設局の仕事が多くて、職員からそのまま副市長という形になったんですけれども、そういった意味で、今まで職員として、現職として経験していなかったいろんな局を持って、いろんな事業に取り組めたというふうに思ってございます。
少し具体的に言いますと、1つはリノベーション・神戸の取組、それから、広域幹線道路網の整備促進の関係、それから下水道資源の有効利用、また都心三宮の再整備、またウォーターフロントの再開発、それから空き家・空き地の対策、また国際コンテナ戦略港湾の推進に関する取組、また神戸空港の国際化、また防潮堤の整備も含めた防災分野の取組など、本当に多くの仕事に携わることができて、本当に充実した4年間だというように考えてございます。この間、久元市長をはじめ、副市長の方々、それから業務を一緒にした各局の職員の皆様に支えられて、明日、退任の日を迎えられるということで、本当に感謝をしているところでございます。4月からは立場は変わりますけれども、微力ですけれども、神戸市の発展に少しでも貢献できたらというふうに思っていますので、頑張っていきたいというふうに思ってございます。
最初に、私からは以上でございます。
記者:
お話の中で、神戸空港の国際化に携わったというお話ありましたが、神戸空港の国際化が在任中に決まって、振り返って、その点についてはどう思われますでしょうか。
油井副市長:
神戸空港については、やはり最初、いろんな形の経緯の中で、やはり関西国際空港を補完するような空港の中で、神戸空港の国際化が、関係者の合意ができたということで、本当に感慨深いものがあります。ただ、一応合意に立ちましたけども、実際に国際化にしようとすると、まず、今のターミナルではなかなか運用できませんので、今、広報等やってございますけれども、サブターミナルの整備、またエプロンの整備とか、今から急ピッチで仕事をしないといけないというところです。ちょうど2025年の大阪・関西万博のときに国際チャーター便の運航、2030年には定期便ということで、段階を経てハード整備をやっていかなあかんということで、本当に今から港湾局の皆さんが、かなりハイピッチでやっていかなあかんということで、今回、私、合意のところまで達することができましたけれども、今度は直接ということじゃないんですけれども、神戸空港の応援者として、そのあたりが着実に進むことを見守っていきたいというふうに考えてございます。
記者:
あと1点、ほかにも印象に残った、任期中に携わったことで、特に印象に残った事業などございますでしょうか。
油井副市長:
ちょっと全然違う話からいきますと、ちょうど私が副市長になった最初の年に、ラグビーのワールドカップが開かれて、ちょうどコロナ前というところで、本当にインバウンドの方がたくさん来られて、たまたま4試合神戸でやって、日本戦はなかったんですけども、その時のその会場の盛り上がりというのが、非常に印象深く残っています。その前後のまちのにぎわいというところもあって、こういう形を、コロナでちょっとインバウンドが減っていますけども、神戸空港の国際化になるということで、ああいう形が日常にあるような神戸のまちにつながればと思っています。
特に印象が残っているという観点でいきますと、ちょうどノエビアスタジアムでやったんですけれども、あそこの芝はハイブリッド芝といいまして、自然芝と人工芝を組合せた格好で、日本のJリーグで初めてハイブリッド芝が認められたという、次の年にワールドカップがあって、所管しているのが建設局でしたので、サッカーでは何とか問題なくいけたんですけども、ラグビーの国際的な選手がスクラムを組んだ時に「本当に芝は大丈夫かな」と思ったときに、それが無事に非常に成功裏に終わったということでも印象深く残っているという事柄でございます。
記者:
先ほど副市長の任期中でラグビーワールドカップのお話がありましたけど、公務員生活でいうとちょうど40年たったと思いますけど、この40年間の間で特に印象に残っていることとかがありましたら教えてください。
油井副市長:
役所で副市長を入れてちょうど40年ということで、多分就任のときにもちょっとお話をしたかもしれないんですけれども、もともと私は土木屋なんですけれども、土木を選んだときに橋を造りたかったということがあって、実際、橋の造り方として、やっぱり計画的なところの形で橋が造れたら、携われたらということを持って神戸市役所に入ったんですが、ちょうど係長の時ぐらいに明石海峡大橋の関連の仕事に携われて、それが平成10年に完了したということで、あれからもう二十数年たっていますけれども、そういう面では役所生活の中で言うと非常に思い出深い事業の1つだというふうに。
実際、私は明石海峡大橋というかその関連の道路であったり、舞子の駅前の整備であったり、そういった形で携わっていたんですけども、橋の関連も一緒にできたということが印象深く残っておる1つです。
記者:
あと、3月末で退任されるということなんですけど、職員に贈る言葉といいますか、エールといいますか、そのあたりがあれば教えてください。
油井副市長:
本当に時代の変化というか社会情勢の変化というのは非常に激しいものがあるかと思っております。やっぱりそれを適切に捉えて、従来型の仕事の仕方だけではなくて、いろんな分野に対して新しい発想で果敢にチャレンジをしていただきたいと思ってございますし、きっとそういうふうに残された職員の方はやってくれると信じてございます。
記者:
あともう1点、最後に先ほどのお話で4月以降も神戸市の発展に少しでも貢献できればというお話があったと思います。今後について何か予定されていることがあるのでしょうか。
油井副市長:
3月末で副市長を退任ということですけど、4月から博物館の館長という形でまた仕事をさせていただくことになりました。全く今までと毛色の違うところなんですけれども、微力ですけれども今までの経験を生かして博物館がさらににぎわうような形で少しでも貢献できたらと思いますし、神戸市全体の発展につながるように4月以降も頑張っていきたいと思っているところです。
記者:
阪神大震災の時のちょっとお話をお聞かせいただきたいんですけど、当時、油井さんは対応に当たられていたら具体的にどういうことをされていたかというのと、あと、年々当時を知る職員の方が少なくなってきている中で、そういった震災の記憶の継承という観点から後進へのメッセージなどがありましたらお願いします。
油井副市長:
阪神・淡路大震災の時は、私が実際に行っていたのは当時整備公社というところで、まさに先ほど言いました明石海峡関連で舞子の駅前の舞子駅高広線という南北の道路の整備にタッチをしていたところだったんですけども。ただ、外に出ていましたけども、震災の日にはすぐに、当時は貿易センタービルにあったんですけど、市役所の人間と連絡を取り合って、当時、私はもともと都市計画局におったんですけれども、そのときに地震があって、都市計画局の部署の下のところが潰れて、資料が2号館の上のほうにあったということで、余震が続く中ですけども、何人かで、やはり今からの震災復興のまちづくりを考えていくときには基礎となるような資料が必要だということで、当然、安全を見ながらですけれども、大事な資料を取りに上がったということですね。
それ以降は、震災復興の事業がスタートした後の工事であるとかそういったことにタッチをしていますけれども、震災を踏まえて後輩に対するメッセージということからいきますと、やはり震災に対する備えというのは非常に大事だというふうに考えてございます。それに対して神戸市もいろんな取組をしているんですけれども、やはり、例えば人口の構成の状況が変わっていったりとか、やはり科学技術が進歩したりとか、いろんな状況の変化がありますので、その状況の変化に合わせて、やっぱり災害の備えをどういうふうにしていくか、災害の対応の在り方についてどういうふうにしていくかという、そういったものは、一度決めて、これでいけるというんじゃなくて、やはり新たな状況の変化に応じて柔軟に対応していくということと、もう1つ、やはり震災だけじゃなくて、土砂災害も神戸市については非常に過去から多い状況でした。阪神大水害とか水害がたくさん起こっていると。そういった危険が過去にも何度も経験したまちであるということで、特に最近、土砂災害という大きな災害はないですけども、神戸市、六甲山としてはそういう災害が起こる可能性があるということで、もし何かあったときには避難をしていただくと。ハザードマップ等で「マイ・タイムライン」等をしていますけれども、自分自身が、もしこういうことが起こったときにどういった行動が取れるかということをあらかじめ決めておいていただくと。それをちゃんと市民の方に周知をして、それぞれの方が危険な状況にならないような対応を取れるように、危機管理を中心に頑張っていただきたいというふうに思ってございます。
記者:
先ほどもちらっとお話に出ていましたけれども、副市長になられてから関わられた部署が結構あったというようなことだったんですが、そうしたところを、マネジメントの立場で初めて関わられるというようなところで、何かお感じになったところとか、これが難しかったとか、これがうまくいってよかったとか、そういったことがもしありましたらお伺いできればと思います。よろしくお願いします。
油井副市長:
所管部局で自分が実際実務で仕事をしていたのが建設局と都市計画というところで、それ以外のところは初めてだったんですけども、ただ、ふだんそういったところで仕事をしていく中で、本当に関連部局とはいつも連携しながらやっていたということで、特に新しく所管になって困ったことというのはそんなに多くはなかったんですけれども。ただ、大きな仕事として港湾局の仕事が令和2年7月から入ってきて、港の関係とか空港の関係もまさに初めてということで、やはりいろんな、都市計画とか建設と違って、いろんな業界の方とかがたくさんいらっしゃって、一緒になってやっていかなあかんということで、そういう面では、職員に支えられて、無事今日を迎えることができたかなというふうに思っているところでございます。
※会見での説明の様子
このページは接続環境によって、映像・音声などがみだれたり、スムーズな視聴ができない場合があります。あらかじめご了承ください。