最終更新日:2024年7月10日
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山中に設営された急斜面なコースを、自然地形を巧みに操りながら高速で駆け下りそのタイムを競います。最高で時速70kmが出るときもあり、コンマ1秒で優勝が決まることもあります。迫力と爽快感はどのスポーツにも引けをとらないと思います。
順調なタイムが期待されていた選手がゴール間近で落車することもあり、最後まで何が起きるか分からないスリルと緊張感が観客を湧かせます。
内気で話すのが苦手、「遊ぼう」と言っても声が小さくて誰にも気づいてもらえない。学校に行くのが嫌で、毎日姉に引っ張り出されて登校する。
そんな私が初めて興味を持ったものが自転車競技でした。
8歳の頃アウトドア好きな父の影響で始めたのが「トライアル」です。
トライアルとは自転車に乗ったままジャンプするようにして障害物をクリアしていく競技です。障害物の前でピタリと止まり、そこから助走なしでジャンプして上に乗る、その上から次の障害物へというような感じです。前輪を大きく浮かせ後輪だけでピタリと止まり、そこからジャンプするようにして岩を飛び越えるので、かなりのバランス力と体のエネルギーを瞬時に放出する爆発力が必要となる競技です。仕事から帰ってきた父と公園で練習するのが日課でした。
内気な私でしたが「できないこと」があるのがとても悔しい。同時にそれができるようになったときは言葉に言い表せない喜びがありました。
そんな性格を父がうまく導いてくれ、翌年の9歳でトライアル世界選手権ジュニアクラスで優勝を飾ることができました。
高校入学と同時にマウンテンバイクダウンヒルに転向しますが、同じ自転車競技でもトライアルとダウンヒルは全く別の競技でした。変化した競技性に苦労しながらもトライアルで培ったバランス力がダウンヒルに活き、激しい悪路でも自転車をコントロールすることができたのだと思います。2001年にはダウンヒルでも世界選手権ジュニアクラスで優勝することができました。
世界選手権での優勝を機にアメリカに活動拠点を移し、世界で戦っていくことを決意しました。2002年にはエリートクラス(レースにおける最高峰)に転向し、トレック社のスポンサーを獲得することができました。しかしチームの中で最年少だった私はトレック社チームの中で最年少で、語学の壁もありついつい内気になってしまい辛い時期がありました。
もちろんつらい事ばかりではなく、素晴らしい出会いもたくさんありました。
それはチームのメカニック、ギャリーとの出会いでした。
私にとってギャリーはもう一人の父親のような存在で、競技に関することだけでなく、
チームメイトとのコミュニケーションや生活、移動、あらゆることをサポートしてくれました。感謝してもしきれない存在です。ギャリーがメカニックとして帯同した2004年フランス、レ・ジェドでの世界選手権では準優勝という結果を収めることができ、日本人選手としては初のメダル獲得でした。
他のスポーツに比べて危なく見えてしまうのは仕方ないですね(笑)
ですがスポーツである以上怪我はつきものです。
もちろんプロでも落車し怪我してしまうことは多々あります。
装備を整えて、気持ちをしっかり持ち自分の身の丈にあったコース選びをすることが大切です。マウンテンバイク=危ないからやらない。はもったいないです。
健康志向が高まってきた今だからこそ体験してほしいスポーツです。
ルーティンに安心感が生まれると、それができなかったときに焦ってしまい、本調子が出ないのでのでルーティンはあえて作らないようにしています。
ダウンヒルレースは世界各地で開催されており、国によって気候は様々です。
大会前日にコースを練習で走ることができますが、選手たちが走ったことにより本番当日にはそのコースは大きく崩れてしまうことがあります。もちろんルーティンを作り、コンディションを整えて挑むのも方法の1つですが、
気候やコースに柔軟に対応するためにもルーティンは作らず、どんな場所でも自分のマインドを持つのが大事であると考えます。
自然と都市が近いのが大きな魅力ですね。
子どもが1人いますが、公園が多いので子育てもしやすいです。
平野や櫨谷などは自転車でよく走ります。
西神生まれ、西神育ち
自転車競技マウンテンバイクダウンヒル、フォークロスおよびクロスカントリー選手
現在も現役で大会に出場する他、MTBのレッスンやイベントにも出席。
1991年 | トライアル日本選手権ジュニアクラス優勝 |
1996年 1997年 |
トライアル世界選手権ジュニアクラス連覇 |
2001年 | 世界選手権ダウンヒルジュニアクラス優勝 |
2004年 | 世界選手権ダウンヒル2位 全日本選手権ダウンヒル17連覇 |
2015年 2016年 2022年 |
全日本クロスカントリー優勝 |