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湊川隧道

最終更新日:2024年10月7日

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湊川隧道(ずいどう)(会下山(えげやま)トンネル)(外部リンク)

昔の湊川は、川底が平地より6mも高くなった川(天井川)で、兵庫地方と神戸地方を二分していました。
当然、交通の妨げにもなり、何度も起きた水害による土砂は、港を浅くする要因だったとも言われています。

湊川隧道(会下山トンネル)と、新旧湊川の位置関係
<湊川隧道(会下山トンネル)と、新旧湊川の位置関係>

湊川隧道(会下山トンネル)(外部リンク)

明治30年(1897年)、地元の有志により設立された湊川改修会社が、湊川の付け替え工事に取りかかりました。
このときに造られたのが、湊川隧道(会下山トンネル)で、日本初の近代的な河川トンネルと言われています。

トンネルはレンガ積み・御影石敷きの馬蹄形で、全長670m。
明治34年(1901年)に完成し、工事費用は、当時のお金で995,000円であったとされています。

明治中期の湊川の様子完成間近の湊川隧道(会下山トンネル)
<明治中期の湊川の様子(左)と、完成間近の湊川隧道(会下山トンネル)(右)>

湊川隧道は、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災により、亀裂が入ったり崩壊したりする被害を受けました。
そのため、震災前から進められていた新湊川の改修工事にあわせ、新たに湊川隧道の2倍以上の断面積を有する「新湊川トンネル」が造られることになり、湊川隧道(会下山トンネル)は役目を終えました。
湊川隧道(会下山トンネル)の内部は、その歴史的価値を後世に残すため、今も当時のまま保存されています。

湊川隧道(会下山トンネル)(外部リンク)

湊川隧道(会下山トンネル)
<保存されている湊川隧道の入口(左)と、新湊川トンネルの入口(右)>
(※新湊川トンネルの入口部デザインは、湊川隧道の入口部デザインを受け継いでいます。)

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