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過去の神戸市での水害の背景

最終更新日:2024年11月11日

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水害の背景

今を去ること約百年前、六甲山はハゲ山同然になっており、たくさんのがけ崩れや洪水が発生しました。

六甲山1

六甲山2
<ハゲ山に植林をはじめた再度山(1902年)と、緑を取り戻しつつある再度山(1913年)>

明治の後半から昭和の初期にかけて、神戸の街は急速に都市化が進みました。
その中で、ふだん水量が少ない川は、幅を狭くされたり、場所を移動させられたり、地下化されたりしました。

生田川
<地下化された生田川(場所は今の生田川とほぼ同じ)>

このような状況のなかで起きたのが1938年の「阪神大水害」でした。
その様子は文豪・谷崎潤一郎の小説「細雪」にも克明に描写されています。

【線路の上を伝わって行けば水に漬からずに行けるけれども、あれから先は、西へ行くほど一面に茫々たる濁流の海で、山の方から大きな波が逆捲きつつ折り重なって寄せて来て、いろいろな物を下流へ押し流している、人が畳の上に乗ったり木の枝に掴まったりして助けを呼びながら流れて行くけれども、どうすることも・・・(「細雪」より)】

この水害の後、住吉川・生田川などの大きな川は国や県により改修されましたが、都市部を流れる小さな川までは手がつけられなかったため、1961年、1967年にはこれらで大きな水害が起きました。

この1967年の水害を契機に、より小さな川の改修を行う「都市小河川改修事業」(現在は「都市基盤河川改修事業」と言います)が進められることになりました。

 

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