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最終更新日:2024年9月30日
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明治生まれの作家の中では、谷崎潤一郎と永井荷風が装丁に凝った作家だと言われている。
谷崎潤一郎は新聞や雑誌に発表した小説を単行本にする場合、表紙のデザインや挿絵を当代の流行画家に頼んだ。そのため、橋口五葉(「刺青」)山村耕花(「お艶殺し」)小出楢重(「蓼喰ふ蟲」)中川修造(「卍」)北野恒富(「蘆刈」)横山泰三(「台所太平記」)棟方志功(「鍵」)などそうそうたるメンバーが担当している。また自分でも装丁したり(「春琴抄」「細雪」「少将滋幹の母」)原稿そのものを500部限定で印刷(「春琴抄」)するほどプロデュース能力に長けていた。
1987年に解体した際、古くなった屋根瓦は撤去して新しく吹き替えた。その際の鬼瓦である。
解体時の発見された棟上げ式の時のもの。1929年8月6日後藤ムメ(家主)と読める。
谷崎のあとに住んだ児山悠輔氏の証言に基づいて復元したもの。倚松庵に住む前の1934年、1935年ごろの「陰翳礼讃」の美意識のせいか間接照明になっている。
倚松庵の中に展示している家具の中で唯一、谷崎潤一郎が使用していたもの。サイドの板を引くと天板が出てきてテーブルが広くなる仕組み。椅子は1脚だけが本物であとはレプリカ。これ以外の家具はすべて移築時に古道具屋から購入したもので、谷崎潤一郎とは無関係。
谷崎潤一郎の最後の家「湘碧山房(しょうへきさんぼう)」で使っていた座卓のレプリカ。桧を使っている。
1987年に解体される前は、井戸は使える状態だった。移築後は使えない