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最終更新日:2021年9月29日
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『横浜と並び西洋式下水道としては日本最古。現在も供用されているという意味できわめて貴重。』
旧神戸居留地十五番館
公開施設
開港場の一つになった神戸外国人居留地の都市計画の一環として、イギリス人技術者J.W.Hart(西暦1836年から1900年)により設計・施工された煉瓦造りの近代下水道で、竣工は明治5年(西暦1872年)頃である。
設計図には円形管(口径900ミリメートル、2条、延長合計817.3メートル)と卵形管(口径460×600、4条、延長合計1,072.6メートル)があるが、約5%(約90メートル)が現存しており、今も雨水管渠として機能している。煉瓦は明石方面で焼かれた国産品である。国指定重要文化財の第十五番館横の歩道に公開展示が行われており、兵庫県南部地震で被災したが復元された。
神戸大丸百貨店東側の明石町の舗道にある矩形のマンホールの蓋を開けると、イギリス人技術者J.W.Hartが設計・建設した煉瓦巻円形下水道が顔をみせる。
現在も現役のこの下水道は、当初、雨水と家庭雑排水を排除するために設けられたもので、近代下水道としては横浜外国人居留地のそれとほぼ同時期(明治4~5年)に建設されたわが国最古のものである。
欧米では産業革命による急激な都市人口の膨張、衛生環境の悪化、コレラ等の悪疫の流行から、近代下水道の整備が積極的に進められた。日本においても近代下水道のない都市は外国人には考えられなかった。当時は、外国人から日本式下水排水路を非難されても、日本人はその意味がよくわからなかったようである。
日本人の居住する神戸市街地では明治25年(西暦1892年)に雨水排除を主目的とする下水道が完成する。しかし、し尿は、居留地も含めて、肥料として農家に引き取られる時代が続く。
江戸時代に栄えた兵庫津に隣接するとはいえ、旧居留地は未開の地であったが、Hartの都市計画により近代都市が生まれ、その後国際港都神戸へと発展していく。
2002年 土木学会選奨土木遺産に登録
2004年 国登録有形文化財に登録