ホーム > 文化・スポーツ > 文化財・民俗芸能 > 神戸の土木遺産と歴史 > 神戸市内の土木遺産の紹介 > 湊川隧道(会下山トンネル)(みなとがわずいどう(えげやまとんねる))
最終更新日:2021年9月29日
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「わが国初の河川トンネル。」
明治34年、河川トンネル
アーチ部・側壁部=煉瓦積み、インバート部=切石積み
延長L=620メートル、内空幅B=約7.3メートル、内空高H=約7.6メートル
内空断面積A=約45平方メートル
新湊川、兵庫県
トンネル内部の様子
明治29年の暴風雨による大水害を契機に、石井川・天王谷川合流点より南西に新河川(湊川隧道を含む)を掘り、苅藻川に合流させ海に導く付け替え工事が明治34年に完成した。
湊川隧道は、わが国初の河川トンネルとして明治34年8月に竣工し、当時の世界の一流のトンネルに劣らない規模を有している。
トンネル内部の覆工には、煉瓦による竪積みと呼ばれる技法が用いられており、覆工背面には栗石が裏込材として密に施工されている。これは、未固結地山に対応した独特の技法であって、トンネルの安定性に大きく寄与しているものと考えられる。
また、河川トンネルという条件を考慮して、インバート部は、煉瓦の上に花崗岩の切石を敷き詰めた構造となっており、洗掘と摩耗等への対策が十分になされている。
吐口側は、明治期のトンネルらしく煉瓦造であるが、そのデザインは本格的なネオ・ルネッサンス風の完成度の高いものであった。(坑門工は阪神・淡路大震災により破損したため、新トンネルではイメージを復元している。)
トンネルの記念碑的地位の象徴である扁額は、小松宮彰仁元帥の揮毫によるもので、吐口側に『天長地久』、呑口側に『湊川』と記されている。このうち『天長地久』は「老子」に見られる言葉である。扁額の書体は漢隷書で、荘重美の曹全碑をよく研究した婉麗な書風の筆跡となっている。
湊川隧道は、阪神大水害、第二次世界大戦、さらには阪神・淡路大震災といった災害にも耐え抜いて存在しており、その技術レベルの高さとこれらの歴史を後世に伝える土木構造物として高い価値を有している。
新湊川を管理している兵庫県では、この歴史的なトンネルを補修し、ほぼ全面的に保存している。また、この貴重な遺産の存在を伝えるため、「湊川隧道保存友の会」というボランティア組織が結成されている。
2012年 土木学会選奨土木遺産に登録
2019年 国登録有形文化財に登録