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最終更新日:2020年10月27日
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「地域住民によってつくられた潅漑用疏水。」
明治24年
疏水、淡河川、山田川
国営東播用水事業、田辺義三郎、H.S.パーマー
兵庫県淡河川山田川土地改良区
水利に乏しい加古(東播)台地には古代から灌漑用の溜池が多くつくられ、江戸時代には綿花の栽培地として有名であった。開国による外国綿の輸入により加古台地一帯の農家は大打撃を受けた。その対策として、牧場や葡萄園などが建設されたがうまくいかない。そこで登場したのが山田川から非潅漑期の水を導入し、溜池を新設し、この地域を水田に変える事業であった。山田川から導水する計画は幕末にもあったが実現しなかった。
導水幹線の測量・調査の結果、地盤が軟弱な地域が途中にあり工事が困難であることがわかった。再度の調査で、淡河川から導水し、志染川を逆サイフォンで渡す計画案がつくられた。
この淡河疏水は明治21年着工、隧道(トンネル)も多い難工事であったが、同24年に完成した。疏水としては琵琶湖疏水(京都)、安積疏水(福島)とともに日本の三大疏水に数えられる。
淡河疏水の設計は、内務省技師 田辺義三郎氏と横浜水道の計画・建設者である英人H.S.パーマー氏が担当した。琵琶湖疏水、安積疏水が国策として建設されたのに対し、淡河疏水は地域住民が自費で完成させようとしたのが特徴である。したがって、現在この施設を管理する淡河・山田土地改良区の役員には自分たちの疏水という意識が強い。
御坂サイフォンは、わが国初のサイフォンである。河床からの高さ約12メートル、長さ54メートルの拱橋を架設し、鉄管延長706メートル、内径91センチメートル、厚み6ミリメートル、水頭51.6メートル、落差2.8メートルである。毎秒約1立方メートルの流量を流す。
サイフォン鉄管は更新されたが、石造アーチ橋(眼鏡橋)は創設時のものである。設計はわが国初の横浜近代水道を建設し、神戸近代水道の計画書を作ったH.S.パーマーが担当し、兵庫県技手 粕谷素直が工事監督、横浜水道職工長バクバードも工事に参加している。
御坂サイフォンは何度か改修され、現在は旧拱橋には水は流れていないが、隣接して建設されたコンクリート橋の中をサイフォンが通っている。
稲美町母里にある兵庫県淡河・山田土地改良区事務所には記念館が設立され、当時の史料、創設時のサイフォン鉄管の一部などが展示されている。