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最終更新日:2020年10月27日
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「港町神戸の発展を支えた運河の建設。」
運河
港
ウォーターフロント
兵庫運河株式会社
兵庫運河
新川運河
神戸市
明治の初期、兵庫港には適当な船の避難所がなく遭難するものが多かった。そのため安全に避難できるような泊地をつくるとともに、併せて荷揚場等を設け貿易上の便を計ることを目的として兵庫運河の建設が計画された。
工事は明治7年2月に始まったが、難工事のため思うように進まず、明治8年5月にようやく新川運河の部分だけが完成した。
現在は運河沿いに遊歩道「キャナルプロムナード」が整備されて、市民の散策の場として、またイベント等にも利用されている。
明治26年11月、兵庫運河株式会社が創立され、明治29年から3年間、林田村の海岸から南逆瀬川町を経て新川運河に合する運河を開削し、風波の高い和田岬を廻る難航路を避けて須磨・駒ヶ林方面と兵庫港を結ぶ水路をつくった。
明治32年12月に兵庫運河の工事は完成し、この時に掘った土砂で苅藻島がつくられた。
高松町・材木町・南逆瀬川町を通って明治8年に完成した新川運河に達する本線と、東尻池町から南に延びる支線、全長約2500メートルが兵庫運河として開通した。