KOBEの本棚 第50号

最終更新日:2023年7月27日

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-神戸ふるさと文庫だより-

  • 第50号 平成17年6月20日
  • 編集・発行 神戸市立中央図書館

内容


「愛の鍵モニュメント」と神戸の街並み

  • 「誓いの鍵」(エッセイ)
  • 新しく入った本
  • 書庫探訪
  • ランダム・ウォーク・イン・コーベ

誓いの鍵

神戸の有名な展望スポットの一つに「ヴィーナスブリッジ」があります。諏訪山公園にある展望台・金星台のすぐ北にある螺旋状の橋で、神戸の港や街並みを間近に見ることができます。

「ヴィーナスブリッジ」の名称は、ヴィーナス=金星、すなわち明治7年のフランス観測隊による金星観測にちなんでいますが、ヴィーナスが美と愛の女神をも意味することから、巷で恋愛成就伝説が語られるようになりました。

そしていつの頃からか、誓いの言葉や2人の名前を書き込んだ南京錠を、恋人たちが願いを込めて橋のフェンスに取り付けるようになり、やがて鈴なりの「誓いの鍵」が見られるようになりました。

しかし恋人たちの熱い思いとは裏腹に、増えすぎた鍵は景観を損ねるという苦情が殺到した結果、平成16年12月、「愛の鍵モニュメント」が神戸市により新設されました。

フェンスの鍵は一定期間を過ぎると撤去される予定です。もうあなたの鍵はモニュメントに付け替えられたでしょうか。

新しく入った本

ひょうご全史(上)-ふるさと7万年の旅

神戸新聞「兵庫学」取材班編(神戸新聞総合出版センター)

ひょうご全史(上)プロローグは幕末-明治。「兵庫県」の誕生から始まる。現在の県域がほぼ固まったのは明治9年。その基となった旧兵庫・飾磨・豊岡・名東の各県は、単独でも県として成り立つほどの規模であった。改編を重ねて誕生した巨大県、その裏にあった思惑とは・・・。

本書は神戸新聞に連載中の「ふるさと全史」をまとめたもので、第2章からは古代、中世とたどる。各地域史にとどまらず、それらの繋がりを丹念に検証することで、旧国意識が強い摂津や播磨などの地域に、「兵庫県」という新たな視点を与えてくれる。

高架下商店街と人びと-片岡喜彦写真集

片岡喜彦(こたろう写真倶楽部)

本書は、服飾、骨董、古本、中古家電など、様々な店舗がひしめき合う元町高架通商店街(通称モトコー)の写真集である。

一服する店主や真剣な眼差しで商品を選ぶ客、物言わずとも何かを主張する看板・・・。「この商店街とともに生き働く人びとの姿を記録したい」という著者が撮り続けた写真と、添えられた見出しがあいまって、モトコーの表情を浮き上がらせる。

Alpine Flowers-六甲高山植物園ガイドブック

(阪神総合レジャー株式会社六甲高山植物園)再版

Alpine Flowers六甲高山植物園は昭和8年に開園した。植物学者の牧野富太郎氏の指導を受けたという歴史ある植物園で、北海道南部に似た冷涼な気候のもと、世界の高山植物や六甲山自生植物など約1500種を栽培している。本書は同園の花のガイドブック。幻の紫陽花シチダンカや、静御前の姿を思わせるヒトリシズカなど、可憐な写真を眺めるだけでも楽しい1冊である。

54才の絵日記

涌嶋克己(友月書房)

54才の絵日記著者は、WAKKUNこと涌嶋克己。イラストレーター、絵本作家として神戸を中心に活躍しており、本書には「夏休み」「赤トンボ」といったエッセイとイラストが綴られている。

「お月見」は、著者が小学生の頃の話。「かっちゃん!山に登ってススキと萩をとってきて」と言われ、よろこび勇んで近くの山へ行く。イラストには、大きな役目を終え、ほこらしげに月を見上げる少年の姿が・・・。

日常生活のささやかな出来事を題材に、どこかなつかしい子どもの頃の気持ちを甦らせてくれる本。

歴史の証人明石公園

辰巳信哉(神戸新聞総合出版センター)

歴史の証人明石公園県立明石公園といえば神戸市民にもなじみ深い憩いの場である。芝生で弁当、野球大会、お堀のアヒルと思い出は様々だろうが、場所柄、楽しい思い出が多いのではないだろうか。

しかし、維新の城址保存運動に始まり、官営化や戦争の混乱を経て今日に至る、人々の汗と涙に支えられた歴史は意外に知られていない。

本書は公園史という客観的表現で書かれているが、行間には、明石公園を愛した人々への、深い愛情が込められている。

酒場の絵本

成田一徹切絵 田中正樹文(フェリシモ)復刻改訂版

かつて神戸の夜を彩ったモダンレトロなバーは、間違いなく大人の街神戸を代表する一側面だった。しかし震災を契機に、古きよき大人の夜遊び場も徐々に姿を消しつつある。本書は消えゆく神戸のバーに捧げるオマージュである。

切り絵という手法によって、悠久の時が流れる名店の雰囲気までが鮮やかに切り取られて見える。

源義経-鵯越の坂落し

野村貴郎(神鉄観光株式会社事業部すずらん編集室)

源義経-鵯越の坂落し一ノ谷の合戦で義経が決行した「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」。坂を馬で駆け下りた奇襲だが、場所は現在の鵯越であるとの説と須磨一ノ谷であるとの説があり、真相は明らかになっていない。そのため伝承地も各地に散らばっている。本書は、そんな伝承も含めた、神戸に残る源平の史跡ガイドブック。

また、平清盛が心血を注いだ福原遷都や大輪田泊に関する史跡も紹介されている。

神戸から軟式野球の灯を消すな!-震災復興野球10年の歩み

竹本武志(OFFICE希望)

神戸から軟式野球の灯を消すな!大震災に直面した時、スポーツはどのように位置付けられたのだろう。震災直後、スポーツや文化の担う意味を振り返ることは確かに困難だった。だが、市民球場などのほとんどが仮設住宅や瓦礫置き場となったあの時期に、スポーツをすることで希望を持とうと考えた人もいる。本書は野球を通じて震災からの心の回復を願った人々の記録である。

間島保夫追悼文集-間島一雄書店

加納成治ほか編(間島保夫追悼文集刊行会)

間島保夫さんは、神戸の古書店「間島一雄書店」の主人であったが、平成16年2月に腎臓癌のため59歳で他界。

間島さんは地域史にも詳しく、「神戸空襲を記録する会」の世話人や県立歴史博物館の評価委員も務めるなど、多方面にわたって活躍した。

本書は、古書店の仲間たちが中心となり、故人の人柄や生前のエピソードなどをまとめた追悼文集である。多くの人が間島さんを慕い、その死を残念がる気持ちが伝わってくる。

その他の新刊

  • 四角い太陽 菅原洸人(ギャラリー島田)
  • 宝塚というユートピア 川崎賢子(岩波書店)
  • 石上玄一郎論-観念の帝王 矢島道弘(審美社)
  • 別所一族の興亡-「播州太平記」と三木合戦 橘川真一(神戸新聞総合出版センター)

書庫探訪 その6

『湊川濯餘(みなとがわたくよ)新聞論破』藤田積中(ふじたもりちか)1868年

湊川濯餘(みなとがわたくよ)新聞論破木版刷り、美濃半紙2つ折りの冊子。その外観からはわかりにくいのですが、『湊川濯餘』は兵庫県初の邦字の「新聞」です。兵庫開港の1868年7月に創刊、翌8月発行の第2号で終刊したと言われています。勤皇派の新聞で、著者藤田積中は「新聞紙ナルモノ此頃頻(コノゴロシキリ)ニ發行(リウコウ)ス皆洋説(ヨウセツ)ニ因テ耳目ヲ新(アラタ)ニシ固陋(コロウ)ヲ啓(ヒラカ)ントノ意(コヽロ)ナリ然(シカレ)ドモ其(ソノ)文中ニ空論妄説多シ(略)各新竒(オノオノシンキ)を競ヒ集ムル大抵洋人(イジン)ノ文(テガミ)ヲ譯(カキナヲ)シタル條(コト)ヲ過半(オヽク)加ヘタリ」と記し、副題の“新聞論破”が示す通り幕府系新聞の報道や論評を批判しました。時の兵庫県知事伊藤博文に認められた積中は、兵庫県聴訟吏に任命され、後に兵庫県会議員となります。

また『神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)』創刊の際には大いに活躍し、新聞の普及発展に寄与しました。

『湊川濯餘』の繊細な表紙をそっとめくると、開国間もない時代の熱い息吹が感じられます。

『湊川濯餘』を“そうせんたくよ”、「積中」を“もりひら”と読む説もありますが、本稿は『市史編集ノート』の読みに従いました。

ランダム・ウォーク・イン・コーベ 50

「ポートピア’81」回想

「パンダが神戸にやって来る」昭和55年3月14日、神戸新聞第1面に大きな見出しが躍りました。それから25年、名古屋で「愛・地球博」が開催されています。メディアから流れる映像に「ポートピア’81」を懐かしく思い出された人もあったことでしょう。

神戸の博覧会にはどのような社会背景があったのでしょうか。

戦後、神戸経済の復興はなかなか進みませんでした。昭和30年代には既存工業の回復に後押しされ、重化学工業を中心に高度成長をみせた時期もあります。しかし、慢性的な用地不足という重荷を背負いながら低迷は続き、昭和48年に迎えたオイル・ショックは重工業時代に終わりを告げました。

同年、宮崎辰雄市政、第2期がスタート。時代は政策転換を求めていました。開発中心の公共デベロッパー方式から多機能・複合都市へ。ファッション都市、コンベンション都市、アーバンリゾート都市へ。

西神ニュータウン、ポートアイランドの開発は、土地不足という戦前から取り組み続けてきた課題に対する大いなる挑戦であり、政策転換へのカンフル剤でもありました。


神戸館(『ポートアイランド博覧会公式記録』より)


パンダ館のスタンプ

ポートアイランドは昭和39年の神戸市会説明から数えて18年後、甲子園球場の120倍、436ヘクタールの広さをもつ海上都市として誕生しました。

博覧会はその完成記念行事として、昭和56年3月19日の開会式を皮切りに9月15日まで開催されました。総入場者数は1610万人余。地方博としては破格の数字でした。

「ポートピア’81」は、一般公募により決定した愛称で「ポート」と「ユートピア」から成る造語。正式名称は「神戸ポートアイランド博覧会」です。メインテーマは「新しい“海の文化都市”の創造」。パビリオン数は合計32。5つの国外パビリオンには27カ国もの出展がありました。ブータンが国として国外へ出展したのは、隣国インドを除いて初めてのことでした。

パビリオンの中でも、話題を呼んだのはパンダ館です。入館者総数は約1012万人。博覧会入場者の3人に2人は訪れた計算になります。天津からの賓客、蓉蓉(ロンロン)(雌)と寨寨(サイサイ)(雄)は、初日から2時間待ちの記録を作りました。

パンダ貸出の申し入れは、昭和53年「神戸・天津友好都市提携五周年記念・市民代表訪中団」の団長として宮崎市長自らが先陣を切ることに始まり、3年がかりのラブコールが実ったものでした。

ポートピアは国の資金を利用せずに開催されましたが、民間の設備投資も含めた総資金は1兆円にのぼるといわれています。それは記念行事の域に留まらず、開港以来の神戸の歩みを世に問うものでもありました。国内館の展示規模は、大阪万博(昭和45年)、沖縄海洋博(昭和50~51年)に優るともいわれました。

博覧会は、神戸のイメージアップと都市経営手腕に対する評価をもたらし、全国から注目を集めました。

現在、ポートアイランドでは医療産業都市構想が打ち出されています。かつて未来へ向けて発信した海上文化都市は、21世紀も走りつづけています。

ポートアイランドの存在そのものが、博覧会の永遠のモニュメントなのです。

参考図書

『ポートアイランド博覧会公式記録』神戸ポートアイランド博覧会協会 ほか

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文化スポーツ局中央図書館総務課