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最終更新日:2023年7月27日
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-神戸ふるさと文庫だより-
神戸文化ホールの壁面を彩るあじさい
六甲山周辺にはあじさいが多く、つつじ、山百合と共に三大名花として親しまれてきました。あじさいは酸性土壌では殊(こと)に色鮮やかさを増し、六甲山の土壌に合うと言われます。
神戸市内では、森林植物園、須磨離宮公園がその名所として知られています。前者では、幻の花「シチダンカ」を含む、25種350品種5万株ものあじさいが、七色のじゅうたんを広げます。
昭和45年5月、市制80周年と大阪の万国博覧会を記念して、あじさいが神戸市民の花に選定されました。これは市民のアンケートを元に決められたもので、投票総数4万4500余票のうち3割近くが「あじさい」を推しました。
「あじさいネット」(神戸市地域サービス情報システム)、「あじさいスタジアム北神戸」といった名称をはじめ、文化ホールの壁面、神戸ハーバーランドのガス燈、元町商店街舗道のガラスアート、図書館カードなど、様々な意匠となり神戸市民の生活を彩るあじさい。皆さんも、街中に咲いているあじさいたちを探してみてはいかがでしょうか。
柏木薫ほか編(勉誠出版)
19歳の若さで芥川賞候補となり前途を嘱望されながら、2年後、21歳で自ら命を絶った久坂葉子。光と影に包まれたその生涯と作品は、いまなお人々を惹きつけてやまない。
生誕75周年の今年、かかわりのあった人々や研究者によって執筆された本書が出版された。作品論のみならず、久坂葉子研究会の活動や同時代を過ごした人による思い出、姉へのインタビューなど幅広い内容となっている。
また、芥川賞候補となった「ドミノのお告げ」とそのもとになった「落ちてゆく世界」、最後の作品「幾度目かの最期」など、代表的な小説6編と詩15編も収録。
本野一郎(コモンズ)
神戸市の農業生産額は、市町村単位で近畿地方第1位。野菜や果実、米、肉牛などが栽培・飼育されている。本書では、神戸の農業協同組合に勤める著者が、農業(たべもの)を根底とする社会について提案。地元の農家を巻き込んでの有機農業や地域通貨の取り組み、稲作体験を通じた都市住民へのアピールなど、その活動は多岐にわたる。生産者の立場から書かれているが、消費者としても考えさせられる1冊。
芝田真督(芝田道)
一口に「立ち呑み」といってもそのスタイルは様々。この本では、今風の洒落た店ではなく、長年地元の人に愛され続けてきた古くからの店、中央区や兵庫区などの20店を紹介する。
一人で静かに酒を楽しむ店や和気あいあいと過ごす店、「常連度限りなく100%」の店からインターネットを駆使してPRする店まで、どの店も個性的だ。店ごとに、店構えや店内の写真つき。
高木應光(神戸新聞総合出版センター)
神戸で早朝登山を日課とする人は1万人近くもいる。そういう都市はめずらしいと著者は言う。この登山の定着には、居留地の外国人が大きく貢献している。
ニッカーズボンにステッキ姿で六甲登山や食事パーティを楽しむ異国の紳士たち。その一方で彼らは登山道の改修工事を自費で行うなど、地域にも貢献していた。彼らはスポーツを、上品で、社会に貢献できる紳士たちのものと位置付けていたのだ。
近代の神戸は他にもラグビー、ゴルフ、テニスなど様々なスポーツ文化を発信していた。そんなスポーツ黎明期の様子が物語のように伝わってくる1冊である。
小磯良平(求龍堂)
小磯良平の油彩画、ペン画、デッサン、版画など約百点の作品と、かつて雑誌などで語った言葉を収めた画文集。
若い女性を多く描いた彼は、「何かしている姿態は美しい」と称賛している。読書をする横顔、髪をいじる仕草、椅子にもたれかかる姿勢・・・。言葉とともに絵を見つめると、画家が追い求めた美しさが見えてくる気がする。
中村茂隆(新風舎)
終戦の1年前、摩耶小学校六年生の著者は、岡山県芳井町に同級生らと集団疎開をする。地元の子ども達と一緒の授業、配給・農作業の手伝いなど、疎開児童が現地の人々とできるだけ多く接触できるように引率教師が配慮をしていたおかげで、子ども達は地元から温かい支援を受けることが出来た。
父母との往復書簡には、それぞれの大変な日々とその中での楽しみが綴られ、互いに心配をかけまいという気遣いが滲みでている。
岡本貴也(三修社)
つらい記憶を揺さぶられる台詞の数々。震災を描くとはそういうことなのだとこの脚本を読めば実感する。だが同時に、文学や演劇といった「作品」としての記録は「報道」とは全く別の力と意味を持つとわかる。主人公が問題解決することで震災そのものが解決されたかのような設定は排除し、演劇としての伝え方を考え抜いた作品。上演までの様々な苦労からも製作者たちの心が伝わってくる。
兵庫県中華料理業生活衛生同業組合ほか(旭屋出版)
神戸を中心とした名だたる中華料理店の味を、家庭でも作れるようにまとめたIHクッキングヒーター(電磁調理器)のレシピ集。
酢豚、麻婆豆腐など基本のメニューから、広東風蒸しハンバーグ、鶏肝の酒カス炒め、シンガポール風しゃぶしゃぶ鍋といった「それ、どんなん?」と身を乗り出したくなる料理まで載っていて、神戸の中華の奥深さに嬉しい唸りをあげてしまう。
成田一徹切り絵・文(神戸新聞総合出版センター)
平成15年から2年余り、神戸新聞夕刊に月2回連載された「神戸の残り香」。連載全50回に30点を追加して出版された。
「神戸が神戸であった頃の残り香を探して作品にしたい」「消えてゆく風景のオマージュを残したい」という著者の思いから発した80点の作品たち。清々した美しさをたたえる臨場感ある切り絵は、見ているだけで神戸散策の気分にさせてくれる。
だが、かつて当たり前だった風景は、本書を片手に今すぐ出かけた方がよいと思われるほど、危うい存在になっている。
10年後に、本書に描かれた風景はいくつ残っているだろうか。
マッチラベルの華ともいわれる商標マッチの「本票」を貼込んだ、和綴じのアルバムです。「本票」とは宣伝に使われた広告マッチではなく、登録商標されたマッチラベルのこと。国産のマッチ登録商標第1号は、神戸・清燧社(せいすいしゃ)の「寝獅子」と呼ばれるものです。
本書は大正4年11月に、燐票(りんぴょう)蒐集の大家、福山碧翠(へきすい)により図書館へ寄贈されました。序文に「不肖此商標ヲ十有余年間各地ニ辛酸ヲ嘗メ蒐集セル一部ヲ割キ纂輯シテ以テ教育上参考資料トシテ曠古未曾有ノ御大典ニ際シ微意紀念ノ為メ謹ンデ祝意ヲ表シ之ヲ寄スト云爾」とあるように、相当な熱意を持って集められたラベルが、絵柄の種類別に1000枚以上も貼られています。
商標マッチは国内だけでなく、中国やインド、欧米にも輸出され、お国柄を感じる絵柄や和洋混交の不思議な図案に驚かされます。
アケボノゾウの標本(神戸市埋蔵文化財センター)
現在の日本には、アフリカやアジアのように野生の象はいませんが、大昔に象がいたことは、各地で発見された様々な化石によりはっきりしています。
ただし、それが象の化石であることがわかったのは明治以降で、それまでは「竜の歯」や「竜の骨」と呼ばれることもありました。
明石の海岸でも、昭和初期から象の化石がしばしば発見され、昭和11年に「アカシゾウ」(パラステゴドン・アカシエンシス)という新種の象として発表されました。それ以来「アカシゾウ」という呼び名が一般的でしたが、その後の研究で、大正6年に見つかった「アケボノゾウ」(ステゴドン・アウロラエ)と同じ種類とわかり、「アケボノゾウ」と呼ばれるようになりました。後述する象も当初は「アカシゾウ」とされていました。
神戸市埋蔵文化財センターでは、市内各地の遺跡から出土した遺物の調査や展示を行っていますが、エントランスホールにあるアケボノゾウの骨格標本がひときわ目を引きます。インド象やアフリカ象に比べると小型で、体高220センチ程ですが、牙は175センチもあり、その迫力に圧倒されます。
この標本は昭和62年に、造成中の西神住宅第2団地(現在の西神南ニュータウン)で発掘されたアケボノゾウを復元したものです。発掘では、2本の象牙を含む全身の骨格のかなりの部分が見つかり、臼歯の摩滅から年令は50~60と推定されました。
このアケボノゾウが見つかった大阪層群明石累層と呼ばれる地層は、レキ層・砂層・粘土層が繰り返し重なってできています。これは河原・湖岸・湖底という変化を何回も繰り返すことにより形成されたためで、同じ地層からは、淡水貝や植物の化石も見つかっています。
当時、奈良から四国にかけて「古瀬戸内湖」とも呼ばれる広大な淡水湖があり、そのほとりにアケボノゾウやニホンムカシジカ、ルサジカ、シカマシフゾウなどの動物がいました。植物も、メタセコイア、シマモミ、フウなど百種類以上の存在が化石により確認されています。
メタセコイアは日本では約80万年前に滅んでいますので、その化石を含む地層はそれ以前のものであることがわかります。かつてメタセコイアは世界中で絶滅した種とされていましたが、昭和21年に中国の奥地に自生していることが確認され、「生きた化石」と呼ばれるようになりました。その後、日本各地で苗が植樹され、現在では公園や学校など多くの場所で見ることができます。
アケボノゾウの化石のすぐ下には火山灰の層があり、その中に含まれるジルコンという鉱物を使ったフィッショントラック法により年代を測定したところ、約160万年前ということがわかりました。これは第3紀鮮新世と第四紀更新世の境目に当たり、この時期の地層からは、中国やインド、アフリカなどでも象の化石が発掘されています。
中国で発見された東アジア最古級の石器を132~166万年前とみる説もありますし、ジャワ原人の古い化石は約百数十万年前と言われています。
残念ながら、日本では原人や旧人の存在は確認されておらず、最古の人類は約5万年前から4万年前とされています。日本の土壌は酸性の火山灰が多く、骨が溶けてしまうために化石として残っていないのかもしれません。
地中のアケボノゾウが静かに見守ってきた、太古の神戸の姿が明らかになる日はあるのでしょうか。