最終更新日:2023年11月29日
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天然の氷を切り出すために使われた道。また、多くの旅人が往来した街道から、酒蔵の間にひっそり存在した小道まで、灘区には様々な用途に応じた道があります。人、歴史、生活、風情…さまざまな想いを今に伝えるこれらの道はまさに人生の喜びや悲しみを受け止めてくれる道でもあるのです。ぜひ、一度歩いてほしい道です。
旧西国街道・旧西国浜街道 |
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解説文 |
古代、大陸文化の窓口であった九州・大宰府と京都・奈良を結ぶ幹線道路として、山陽道が開かれました。近世には「西国街道」と呼ばれるようになり、参勤交代の大名行列や荷物を運ぶ飛脚、行商人などが盛んに行き来したといいます。また、江戸中期以降、酒造りや水運業が発達するなか、西国街道のバイパス的な庶民の道として、芦屋から灘方面の海岸近くの村々を貫いていたのが「西国浜街道」です。 |
酒蔵のみち |
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解説文 |
灘の酒は、享保年間(1716~36年)には天下に知られ、樽に詰め「灘の生一本」として樽回船で江戸へ運ばれていました。酒造の発展要因として、宮水の発見、良質な播州米や吉野杉の樽、丹波杜氏の技術、六甲の寒気などの条件に恵まれたことなどがあげられます。現在の灘五郷は西宮市の今津・西宮郷、神戸市の魚崎・御影郷、灘区の西郷です。西郷では昔ながらの酒蔵が阪神・淡路大震災で倒壊しましたが、それでも周辺を歩くと今なお酒蔵地域の特有の雰囲気が感じられます。 |
長峰坂 |
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解説文 |
灘区の北東に位置する長峰中学校に通じる区内屈指の傾斜度の急な坂があります。通称「長峰坂」と呼ばれています。通学路にもなっており、このしんどい坂を往復しながら生徒たちは通学しています。ここからの眺望や夜景は美しいです。 |