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灘百選・神社/仏閣③

最終更新日:2024年11月13日

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素佐男(すさのお)神社


古くから、この地方は天城郷都賀荘鍛冶屋村と称されていました。この地域は水害も多く、また、鍛治屋町であったので守り神として祀られていました。天照皇大神の和魂に対し、素佐男命は荒魂の神であり、荒々しく勇壮なこの神は邪悪を祓い除く大きな力を持つ神様といわれています。素佐男大神を祀る神社は多く、全国で約二千社程あります。その中心的な神社が京都の八坂神社で神戸では兵庫区・平野の祇園さんに対して、当神社は東の祇園さんとして親しまれています。

住吉神社


敏馬神社の御旅所。旧聞によると御神体は天和年間(1681年~)に大石村の海中より出現し、社殿を造営して祀られました。神社のある大石の地は上古、神を祀る氏子が居住する地で『生石』と称えられました。神功を立て米18石を賜り、その光栄を後世に記するため、十と八を合わせて『大』とし、『生石』を『大石』に改称したとのことです。社殿は阪神・淡路大震災で倒壊し、現在再建中です。

善光寺


高羽交差点を石屋川方面に下る途中にあり、本堂内に藤原時代末期につくられた不動明王像があります。もともと、比叡山北谷の宝乗院にあったものが明治2年(1869年)に寺が焼失し、坂本の里坊に安置された後、昭和50年(1975年)に現在の善光寺に移されたものです。また、両脇に侍立する「矜羯羅童子(こんがらどうし)」と「制吒迦童子(せいたかどうし)」は、鎌倉時代につくられたもので、寄木内刳り、彩色を施し、玉眼を入れており、昭和52年(1977年)に県の重要文化財に指定されています。

徳井神社


別称「箒(ほうき)の宮」ともいわれ、安産祈願に参拝する願人に竹箒を授けるところから、その名が生まれました。「箒」授与の由来は定かではありませんが、土地の古老の間では「陣痛の時、宮より箒を借り受け、その箒と併せて奉納する」などの伝承が語り継がれています。いずれにせよ、民俗的にも珍しい神事で、地元のみならず、広く知られています。

丹生(にぶ)神社


沿革については史料がないのではっきりわかりませんが、鎮座地はもと「ドヤシキ」といわれています。これは堂屋敷のことかと思われますが、一王山十善寺の本堂屋敷があったところだと伝えられています。境内には、元禄2年(1689年)の鳥居、寛政6年(1794年)・天保2年(1831年)の石灯籠が現存し、樹齢500~600年の楠があり、「丹生の楠」として市民の木となっています。力くらべの「力持石」もあります。

梅仙寺(ばいせんじ)


大同元年(806年)、中国漢人である梅仙阿闍梨(ばいせんあじゃり)がわが国に渡来し、摩耶山にて仏母摩耶夫人の念持仏を深く崇敬し、山麓に六間四方のお堂を建立しました。その後、帰化して当山の開基となり、その名にちなんで梅仙寺と称号されるようになりました。また、門の右手には六甲小学校発祥の碑があります。

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