最終更新日:2024年10月17日
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灘区には特徴的な神社・仏閣が多数あります。市街地の中に広い面積のみどりを茂らせ、まちの中のみどりのオアシスとしても心なごませてくれるところです。市街地の風景のポイントとなるばかりか、まちの歴史の生き証人でもあります。また、神社で行われる祭りは人々の忘れられない思い出でもあります。
一王山十善寺 |
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解説文 |
石屋川上流の西岸にある臨済宗永源寺派の寺で、天喜5年(1057年)、信覚大師が創建。七三僧房と七堂伽藍を擁し、壮観を極めたといわれます。元弘3年(1333年)兵火により全焼。復興後、再び天正年間(1573~92年)の兵火で本尊十一面千手観音を除き焼失しました。現在の寺観は江戸時代高羽の住人楠本三左衛門高重によって寛文5年(1665年)に再建。宝暦11年(1761年)に呑海和尚が来て完成に至ったと言われます。背山に四国八十八ヶ所のミニ霊場があり、寺とともに登山道に組み込まれています。 |
厳島神社 |
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解説文 |
篠原地域の氏神で、河内国魂神社から昭和28年に氏子を分離して厳島神社となりました。毎年2月3日の節分に針供養祭が行われるほか、5月4・5日の春祭りでは猿田彦神役を先頭に子供神輿・稚児行列が、篠原の北町・本町・中町・南町の氏子区域を巡行します。この時に巡行する「地車(だんじり)」は区内で1・2番目に大きいといわれ、境内に保管されています。また、平清盛が夢に見た快光を発する方向に見つかったとされる「福石」が祀られ、縁結びに御利益があることでも有名です。 |
王子神社 |
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解説文 |
諏訪大社の分霊により、元久元年(1204年)に建立。その後、延元元年(1336年)に紀伊熊野より若一王子神の分霊を受け、「王子権現」と称し、樹木や子ども等の守護神として信仰されるようになりました。昭和21年(1946年)に「王子神社」と改称されました。当時、王子神社は今の王子公園内にありましたが、昭和24年、公園造成にともない、王子町1丁目に移り、さらに、31年に同所が兵庫県国民体育大会総合運動場になったことから現在地に移りました。 |
大土神社 |
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解説文 |
この地域は水車新田と呼ばれ、天明年間(1781~89年)には25基の水車がありました。これらの水車を利用した水車業者は、菜種から油を絞り、灯油として京阪や江戸に輸送していました。大土神社は寛延元年(1748年)に村内と油の海上輸送の安全を願い、創建されました。境内には、六甲山への登山者によく知られている自然石の「かえる石」があり、旅行などで出かける時に撫でて参拝すると「無事かえる」といわれています。また、境内は、神戸市の「市民の森」に指定されています。 |
海蔵寺 |
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解説文 |
延喜元年(901年)、法性房尊意の開基と伝えられています。その後の沿革はわかりませんが、河内国魂神社の神宮寺として知られています。幕末の摂海防備の時、長州の毛利藩が武庫川から須磨までの警備に当たるため、所々に陣屋(駐屯所)を置きましたが、海蔵寺もそのひとつです。明治維新になって、神仏分離のため、神宮寺は海蔵寺として独立しました。明治12年頃には五毛梅林として梅の名所となっていましたが、今では名だけとなっています。 |
春日神社 |
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解説文 |
その昔、この地の先人が、伊勢神宮参拝の帰路、奈良県にさしかかった際、重い病気にかかりました。薬を飲んでも効き目がなく、信仰していた奈良の春日大社に病気全快祈願をしたところ病気が治りました。お礼に奈良の春日神社より分霊をいただいて、この地に祀ったのが始まりと伝えられています。毎年秋に例大祭が行われ、都賀だんじり保存会のメンバーによる「だんじり曳き」が注目を集めます。 |